死ねって言わないきれいな長谷川論者について

長谷川豊のおかげで生活習慣病由来の腎不全による人工透析治療についての世間的認知度が高まった気がする。

 

それにともなってか、糖尿病について書かれたWEB記事のコメントには

「糖尿病患者は人工透析が必要になる確率が高くなり、その治療費が一人当たり年間ウン百万かかる。でも患者は実質負担月1万でいいんやで」

というのが増えた気がする。

それについては否定はしないし、もっというなら人工透析の程度によっては実質タダなわけなんだが。

 

もうひとつ増えたコメントには「クズ(人工透析患者)の高い医療費を健康な人らが負担してやる必要なし、もっと使い道を考えろ」みたいなの。

・・・こっちはただの長谷川論なので特にコメントするのはやめた。

 

で、話を戻すと、きれいな長谷川論(前者)について。

「糖尿病とその合併症は治療は辛いので気をつけましょう」ではいけないのかと。

不良患者がいるから周知させなきゃいけないのか?

不良患者については別の対策が必要かもしれないが、わざわざ具体的な金額をだして真面目に治療している患者をぶん殴るような方法で周知する必要があるのか?と。

わざわざ患者に対するヘイトを高めてくれちゃって。

確かに生活習慣病はそれに伴う合併症は避けたい。ぜひとも。

失明、皮膚の壊死、手足の切断、腎不全、ほかにも骨折しやすくなったりいろいろある。

でも既にそうなってしまってる人に対して絶対的な正義のようなものでぶん殴る必要があるのかと。殺せと言わないかわりに。善人の顔で。

 

安易に移植(死体、生体)を勧める人も正直不安がある。

腎不全になったら、病院から移植と透析(人工、腹膜)と選択肢があるけどどうする?という説明はきちんとされる。

私も母への移植をこっそり考えたことがある。今も頭の片隅に常にチラついている。

まだ知識が足りない段階で何を思っても今後それが変わる可能性はあるのだが、正直恐いのだ。

日常生活をする分には腎臓が片方ないことは支障はないと言われている。アスリート並みに運動する人などを除いて。

でも、将来子供が腎臓を患っても腎臓を提供できない可能性、自分が母と同じ状況になる可能性。

たられば言っても仕方ないかもしれないが、腎臓を患った人を間近で見てきたからこその恐怖感なのかもしれない。

母については移植にともなうリスク。そもそも成功しない可能性もある。成功しても免疫抑制剤漬けで結構大変だとか。

「オカン、腎臓悪いの?よっしゃ、私の片方あげるよ!それで少しでも元気になって!」

などと簡単に言えるほど強くない。

 いよいよヤバイ、となったらさすがに腹くくると思うけど。

 

 

・・・なんだかオチもまとまりもない話になってしまったが、

病気は人生を左右するので予防できるのが一番だし、患者をぶん殴る真似もやめてほしい。