祖母がインフルエンサーになりまして(後日談)

さて、12月頭に無事、元インフルエンサーの祖母がグループホームに戻ったわけですが・・・一筋縄ではいかなかった。

年末に慢性硬膜下血腫で入院・手術と相成りました。

※母は骨折にて入院中

 

ある日グループホームから電話がかかってきて「右に傾斜があるので病院で診てもらってきて」と言われた。

「傾斜ってなんぞ?」と思ったが、まぁ実際に会った方が早いか、ということで迎えにいくと・・・車椅子でのご登場。おやおや、歩行がままならないじゃないの。右半身に運動機能障害が出ていて、全然力が入らない様子だった。

これは町医者マターじゃないと思い、近くの中規模病院へ。受付で症状を簡単に説明すると脳外科を勧められ、そのままCT撮影。撮ればすぐわかる硬膜下血腫!文明ってステキ!

医者からはほっといて治るもんじゃないどころか悪くなる可能性は十分にある、と手術を勧められるわけだが、祖母にしてみれば突然降って湧いた話に「心の準備ができてない」と先延ばしにしてなかったことにしようとしている模様。「心の準備ができてない」というのは祖母お得意の逃げ文句なので断固ブロック。年末だったのでその日を逃すと年明けまで手術お預けという状況。できれば早く手術して早く退院したいんですよねぇ。

 

早々に私と医者じゃ説得するには力不足(主に信頼度が足りない)と考え、親戚(祖母の兄妹)に病状と手術の説得を依頼。介護に関して率先して手を抜くことを覚えた私、積極的に他人にアウトソーシングしていきます。物盗られ妄想と性格のせいで信頼度が非常に低い私が説得事をするのは実に効率が悪い。信頼度の高い親戚が都合のいいことに(?)同じ病気の経験者で「手術したらすぐ治るよ」とあっけらかんと説得してくれた。

結局あれやこれや説得しても応とは言わず、不満そうな感じで手術の段取りへ。検査するのがすごく大変だった。嫌がるし暴れるし。血圧一つ碌に測れなかった。鎮静剤を注射しても全然効かないし。「覚えとけ」ってすごい形相で言われもしたわけだが、こっちが覚えてても認知症のばあちゃんが覚えてるかっていわれると・・・ねぇ、などと思ったり。

私はといえば、病院の方から「少し強引になるけどいいだろうか」と聞かれるも、「病院のやりやすいようにやってください、お任せします」だった。できることなんてないし、側にいても悪態吐かれるどころか暴れそうなので遠くでこっそり様子を見ていた。

数時間後に無事に手術が終わった。手術中、医者にずっと文句言いまくってたらしい。頭に穴開いてて命握られてるのになんという命知らずなw

※年齢を考えて局所麻酔にしたため、手術中も意識があった。全身麻酔には「せん妄」というリスクがあり、結構めんどうなので麻酔の方法はよく考えて決めた方がいいのかもしれない。というか医者がちゃんと考えてくれる。

祖母は病室に戻り、入院に必要な物を持ってきた私に「手術したなんて聞いてない。これ(身体拘束具)外せ」とすごい圧だった。頭穴開いてるんですけど・・・血腫取ったらめっちゃ元気やん、よかったよかった(感情のない目で)

さて、医師によると、頭をぶつけるなどが原因で慢性硬膜下血腫になったと考えられるが心当たりはないか、と。ありますとも、グループホームで何度か転倒したと聞いたし、インフルエンサー(亀)の時も十分可能性がある。なるほどなるほど。原因あっての結果なわけだ。そして年末年始を挟み、リハビリ込みで2週間半ほどで退院となった。

 

 

 

ここで一件落着となってたら多分この記事は書いていない。

 退院から1週間もしないうちにグループホームから連絡があった。しかも夜中の3時に。なんでもまた転倒して頭をぶつけたらしい。今度は手術したのとは逆の方。

通常なら朝まで様子をみるところだけど退院直後だし、頭ということで派手に流血してたので同じ病院の時間外へ。CTを撮り、異常はなかったけど手当だけして念のため2泊。これもまぁさしたる問題ではなかった。

 

問題はここから。グループホームの職員さんに聞けば、なんでも昼夜逆転、徘徊、妄想、暴力、暴言の類(BPSD)が酷くなってるんだとか。夜勤の職員さんが退職を訴えるほどに。職員のリーダーから「これが続くようならうちではもう預かれない。精神科で診てもらってなんとか耐えられる状態にしてくれ」的なことを言われた。最後通告である。

ここでグループホーム入所前にお世話になってた精神科に再度かかるしかないのだろうか、と選択肢の少なさを実感した私は、元々の主治医(町のお医者さん)に相談。このときお薬手帳がとても役にたった。薬の内容をみればどういう状況かわかるんだろう。すると主治医は「手術してもらった医師がちょうど認知症も専門にするらしいからそこで診てもらってはどうか。うちは普通の内科で認知症は専門外だから気がねする必要は全くない。内科も含めて全部診てもらいなさい」とこころよく送り出してくれた。前に入院した精神科はどうも合ってない様子だったし、こっちも電話ラッシュとか困るしね。

というわけで薬(リスペリドン)を処方されたわけだが、その薬の合わないこと合わないこと。ずっとぼーーーーーーっとして足元がふらつくし逆に危ないということですぐに中止した。なんというか一日中、「半分以上寝てる」状態なのだ。しかも布団では寝ないし。

こりゃいかん、ということでグループホームの判断でその薬を中止。それでどういうきっかけかは知らないのだが、睡眠薬等の精神科系の薬をすべてやめて、ベッドから布団に切り替えたらしい。すると・・・なんということでしょう!ぼーっとすることは当然減り、BPSDも耐えられる程度には改善したではありませんか!これで首の皮一枚で助かった!

その後手術の経過の診察の時に一連のことを話し、認知症の薬と睡眠薬を全部やめることとなった。よく考えたらグループホーム入所前に入院してた精神科でも、結局薬を全部やめた状態での退院となり、主治医と首をかしげていたのを思い出した。まったく同じ状況なのだ。薬の効果はほんとに個人差があるもんだなーと。んでその道中、私は病院に行く気のない祖母を無理矢理車に乗せて連れ出したことでブチ切れさせてしまい、運転中に殴られるわ走行中に降りようとするわ、大声での暴言をかき消す爆音の宇多田ヒカルの中で、なかなかのスリルドライブを味わったのでした。

 

 

以上!