認知症の祖母と自己中な孫の話

心に余裕ができたので新鮮なうちに残しておこうと思う。
認知症の介護を少し経験したので、知識程度に知ってほしかった。

前もって断っておくと、タイトル通り、内容は私の体験に基づく考えなのでひどく偏ったものだし、「理想的な介護を(皮肉をこめて)」とか「人間らしい介護を」とかいうような崇高な考えを持った人には向かない内容だと思う。
あと、長くて読むのが面倒だ、という人は★★のところだけでも読んでほしい。

また、この話に父(婿養子)はほとんど登場しない。昔から母方の祖父母と父は折り合いが悪く、父も短気な性格なので介護にあまりかかわらないほうがいいと考えていたからだ。介護にかかわるぐらいなら、最低限、自分の身の回りのことを自身でやってくれたほうが数十倍助かるw
母は母で糖尿病が進行していて、人工透析をしている。
あとばあちゃんは近所付き合いが苦手で、デイサービス等をかたくなに拒んでいた。
結構詰んでいるのだw

 

タイトルの通り、母方のばあちゃんが認知症だ。アルツハイマー認知症である。

目に見えて認知症っぽい症状が出たのは1年半ぐらい前からなのだろうか。
元々一人暮らしだったばあちゃんはそのころ股関節を痛めて歩行に障害を生じていた。
主治医にすすめられてなんとか手術を受けることを了承してくれて、ちょうど1年ぐらい前に手術した。
(入院中もそれなりに大変だったが、そこが本題ではないので割愛)
手術後、リハビリのために転院した病院で医師から衝撃の言葉を告げられた。
 医師「認知症が劇的に進行してる。すぐ退院したほうがいい」
 私「・・・は?(いや、何言ってるかわかんねえんだけど)」
医師のいうには、認知症患者に病院という普段(家)と違う環境に長くいるというのは症状を悪化させる行為らしい。高齢者が手術入院して認知症を発症するケースも珍しくないんだとか。まったく知らなかった。そもそも昔は80歳越えた人に手術をすすめることはほとんどなかったらしい。だから病院の長期入院で認知症の激化なんてあんまり聞かなかったのかもな、なんて個人的に思っている。今は、本人の意思にお任せします、的なやつだ。手術時に感染症のリスクについては聞いていたけどこれは聞いてなかった。むむむ。
その後ばあちゃんは退院し、通院、後半は訪問介護でリハビリを続けた。
★★ここまでで、病院の勧めもあって介護保険の申請をしていて、要介護Ⅰの認定を受けた。ケアマネージャもついた。申請は役所の「包括支援センター」でする。自治体によっては福祉課かもしれない。★★

退院後、築年数の結構たつ木造住宅に私と両親の3人が同居することになっており、介護保険の助成をうけてリフォームした。(あくまでも目的は介護のため。バリアフリーね)
とりあえずリフォームで酷くもめた。言った言わないでケンカを繰り返して作業が滞るのなんの。業者さんにはいろいろ迷惑かけたと思う。ホントに申し訳なかった。
★★リフォームにあたって介護保険の補助を利用した。あと介護器具も介護保険の補助を利用した。ここら辺の書類仕事はケアマネさんにお任せw★★
あと、当時の私といえば「認知症って物盗られ妄想とか徘徊とかああいうのだよね?」程度の知識しかなかったので、とりあえず簡単そうな本を購入して読んでおいた。本で得た知識で一番びっくりしたのが、暴言・暴力、物盗られ妄想、徘徊なんかは、認知症の有名な症状で末期のように思われがちだが、全然末期じゃない。むしろ初期だということ。言い方は悪いが、症状が進行すると最終的には寝たきりなわけだ。
本を読み漁る必要はないと思う。どれだけ知識を詰め込んだところで、実践に勝るものはない。どうせ本だろうがネットだろうが、書いてあるのは「理想の介護」的なことばかりだし。


んで同居開始が去年の11月。同居開始から数週間たって、事が起こった。

 ばあちゃん「カバンがない」

そのカバンには通帳、印鑑、保険の証書がすべて入っている。一緒に保管するなよというツッコミは聞こえないフリで。
いつも同じ場所に片付けてあったはずの物がない。
「場所を変えてその場所を忘れたんだろうな、認知症だし、まあ、ね。」ぐらいに思って購入した本に書いてあったとおり一緒に探した。話をそらせるような相手じゃないしそもそもそんな話術に長けてもいない。原因から潰してやろうじゃないか、と思うわけで。

(ちなみに本に載ってるコマンドは「一緒に探す」「お茶やお菓子をすすめてごまかす」「単純に話をそらしてごまかす」あたりだ)
・・・見つからない。夜通し探しても。隠すのがうますぎる。
ばあちゃんは怒り狂い、奇声をあげ、暴言をはき、私や母に物を投げつけた。
物盗られ妄想を疑った私はカマをかけてみたが、まだその域ではなかった。ただ見つからない、とだけ。壊れかけた理性だが、まだ理性があった。
カバンが確実に家の中にあるのはわかっていたので、とりあえず気分を鎮めるために翌日に銀行で通帳と証書の再発行をした。口座をとめる(無料)だけでよかったんだが、ばあちゃんの強い希望により再発行(有料)した。
その日の夜、また騒ぎになり、すったもんだの上、110番し、あっさり警察官が発見してくれた。これがいけなかった。いや、よかったんだけど、でもいけなかった。

★★最初に警察官に応対したとき、私は一瞬で自分に窃盗の疑いを向けられているのを悟った。そこで認知症であることをすぐに伝え、家族の容疑と空き巣の可能性を否定した。★★

★★この日のことを主治医(いわゆる町のお医者さん)に話したらこんな助言をもらった。
 主治医「今度からこういうことがあったら記録しておいて。絶対に本人に見つからないように」
いわれた通りに書き始めた。めんどくさかったからExcelで表を作った。
このことは後にかなり重要な役目を果たしてくれる。項目は日付、キレた原因、キレ方、キレ度(私は10段階評価にした)、薬(ばあちゃんの場合は認知症睡眠薬)の服用状況ぐらいだ。あくまでも客観的かつ端的に。後で医者とかにみせることになるのでね。介護記録とかを丁寧につけてる人もいるみたいだけど、すぐやめた。書くために記憶をたどるだけで嫌な気分になる。読み返してもたぶんそうなるんだろうな。思い出すことで記憶が定着するのも嫌だった。さっさと忘れたかった。あと他人に説明しづらい。
そしてメマリーという薬を処方してもらった。キレて暴れる(陽性症状)のを抑える薬らしい。対症療法というやつだ。原因を取り除く薬ではないし、そんなものは存在しない。ほかにも同様の薬や漢方があるのでそこは医者の方針次第かと。メマリーは症状をみながら段階的に増やしていく薬なのだが、上限があって、この薬で対処できなくなったら認知症外来の受診を勧める、紹介状も書くよと言われていた★★

その後は、気に入らないことがあるとキレて暴れて、の繰り返しだった。子供が駄々をこねてる風にみえなくもないが、相手が年上なのでやりきれなくなってくるらしい。感情と理性が追い付いてこないのだ。そこは本で読んで予測できてたので最初から割り切っていた。母にもある程度のことは予告していた。なんとも冷たい孫だw
ばあちゃんに胸倉をつかまれて、反射的に殴りそうになったこともあった。理性を総動員して自制はした。虐待するな、前科つけるな、この一心だった。本格的に自分の理性がやばそうだな、という時には近く(ばあちゃんからは見えない場所)に父親をスタンバイさせた。最終制御装置であるw
キレると弱った足腰にかつての若さがよみがえる(原理は違うんだけど)。普段はよたよたと歩いているのに、キレた時の歩きっぷりといったら若々しいのなんの。驚くほど華麗に歩く。そして力もある。理性のリミッターが外れた状態で、ひとつの「火事場の馬鹿力」的なものだと思う。
キレるならキレる原因を取り払えばいいと思ってそうした。すると別の理由を見つけてきてキレる。キレたらその原因がなくなるまでキレ続ける。根競べだw
あまりに頻繁にキレるし、昼夜問わずにキレるので、睡眠不足もあって心身ともに疲れていた。おかげで理性がもろくなるのなんの。・・・でもまだ序の口。
何度か、物がない(実際には自分で片付けたものの場所がわからない)とキレることがあったので、物盗られ妄想のカマをかけて確認をしていた。やはり物盗られ妄想は徐々に出てくるようで、最初は案にほのめかす程度だったが、後の方でははっきりと私を泥棒扱いしていた。
★★物盗られ妄想は、一番世話してくれる人を泥棒扱いする傾向があるそうで、うちの場合はそれが私だったという話である。なので多いのは娘や嫁、介護者(訪問介護士等含む)あたりだ。あと、母はおっとりしてるのに対し、私が生意気なのも原因かもしれない。★★

こんなことが続いて4月。ここからが本当の意味で地獄。
頻繁に通帳入りのカバンが行方不明なった。
そして前述の実績があったので、頻繁に110番通報するようになってしまった。
警察官は見事にカバンを見つけてくれる。
私や母は見つけられないのに。
ばあちゃんは私に「カバンを隠して困ってるばあちゃんをみて楽しいか」と私を罵るようになった。楽しいわけないだろ、仕掛けた側も疲弊する嫌がらせってどんなんだよ、と思いながら適当にあしらっていた。キレてるばあちゃんとは会話が成立しないのでどう説明しても効き目がない。かといって売り言葉に買い言葉じゃ火に油。ただ黙々とカバンを探すだけ。その間、一方的に罵られ、なかなかに心をえぐってくる。なんの修行だろうか。いっこうに悟りがひらけないし修行が終わる気配がない。ばあちゃんと母の関係性が保たれればそれでいい、悪役は自分が引き受ける、そんなつもりでいた。母はメンタルが強い方ではないし、私ほど冷酷でもない。そして病気にストレスは大敵なのだ。
睡眠不足、ストレス、食欲不振、興奮で通常の精神状態を維持するのが本当に難しかった。
★★このときの救いだったのがネコと趣味の存在。飼い猫さまには随分癒してもらった。一生大事にするよ。癒し大事、超大事★★

ある日、我慢の限界に達した私はケアマネに連絡をする。
「ばあちゃんを施設に入所させたい。早急に探してほしい。ショートステイのハシゴでもなんでもかまわないからばあちゃんと離れたい」と。
定期的に訪問看護師やケアマネと連絡はとっていて、状況も伝えてはあったが、この連絡で深刻さをわかってもらえたらしい。

それはそれとて、通帳に足が生える日々は続く。顔見知りの警察官も増える。110番のオペレータや警察署には出動を渋られる。当然だ。しまいにばあちゃんは警察に文句を言い始める。私が生意気だから厳重注意するようにと訴えていなされたらしい。警察官に詰め寄るとか最強すぎるwあまりに通報の頻度が高すぎて警察に苦情を言われたので、電話線を抜いていた時期もあった。そして、それはそれで火種になった。
★★毎回警察官に家族構成や認知症の経緯を説明するたびにめんどくささを覚える。署内で情報共有してくれていいのよ、と思うほどに。
ここで私は主治医に言われて書きためたあのExcelを印刷して見せるようにした。家系図も作った。これを印刷しておけば説明の負担がごっそりなくなった。楽ちん★★

しばらくしてカバンの一件でばあちゃんともみ合いになった。いくらキレてて颯爽と歩くとはいっても、それをわかって構えている若者の力には敵わない。一方的に突っかかってきて勝手に転ぶ。私的にはもらい事故だ。ある時、そんな感じで転ぶばあちゃんが頭を打たないようにとっさに腕をつかんだ。そのせいで腕に盛大なアザを作り、ばあちゃんは近所の家に逃げ込んだ。ばあちゃんはすごくアザができやすい体質なのだ。
ほどなくして警察と保健所が来た。ご近所さんに虐待を疑われたのだ。怒鳴り声はとっくに知ってたみたいだし。
警察官はうちの事情を知っているのでお互い苦笑いで済んだが、保健師は初対面だ。
これまでの経緯と祖母はアザができやすい体質で庇うために腕をつかんだらアザができたんだということを説明した。母は泣き崩れ、私も精神的疲労が最高潮だった。
★★ここでもExcelが大活躍。他人に説明するために作ったものが、まさかここまで自分の身を守る道具になるとは思わなかった★★

この後、やっとばあちゃんがカバンを母に預けることを了承してくれた。それまでに何度も提案していたが、突っぱねられたり、一時的に成功するもやはりばあちゃんの手元に戻ってしまったのだ。
夜中に自分のアザをみて暴力をふるわれたと勘違いし通報したこともあった。付近でパトカーを見たらうちに来たのかなと思うようにもなった。そして実際そうだった・・・

保健所が絡んだせいで役所の知るところとなり、早急に認知症外来の受診を、という話になった。いや、何度も試して失敗してるんだよw

5月後半、半ば詐欺まがいの方法で受診させ、そのまま強制的に入院(医療保護入院)となった。詐欺まがいというのは、「介護保険の更新に脳の検査が必須項目となった」という嘘と病院の名前を出さないこと(理由は後述)だった。役所かケアマネが考えた内容だ。突然の入院でびっくりしたのは本人だけではなかった。
親戚(ばあちゃんの弟妹)にも驚かれ、ひどく非難された。
ここで気付いた人もいるかもしれないが、そこは精神科である。
地元では有名な精神科のある病院だったので、ばあちゃんはそこには猛烈に行きたがらないのが目に見えていた。が、認知症外来というのはおよそ完全予約制な上になかなか予約が取れない。なじみの病院にもあったのだが長らくの予約待ち。それまでに誰かの心が折れてしまう。それか私が暴力沙汰にして前科者になってしまう。なりふり構ってられない。一番早く予約の取れるところを、というのでその病院を受診したのだ。

これでばあちゃんと離れることができた。・・・いやいや、新たな戦いの始まりだった。
まず、自己嫌悪。同居から半年で強引に入院させたという事実。邪魔者を追い出すの図になっているがこれでよかったのか、と。でも自分や両親を守るには入院させるのが最善だったのだ、と。思考が行ったり来たり。でもこれはライブで憂さ晴らししたらすぐ吹きとんだ。音楽好きならではの方法かもしれない。
次に電話の嵐。ばあちゃんは携帯を持っている。病院に公衆電話があるから、と最初は持たせなかったのだが、ばあちゃんと親戚に酷く責められ持たせることに。すると私、母の携帯に朝から晩まで絶えず着信があった。電話にでれば、早く帰らせろ、迎えに来い、刑務所みたいなところにお払い箱にしやがって、的な内容で、回数を考えるとある種のホラーかストーカーのようだった。
さらには親戚との関係。突然入院することになり、親戚に酷く非難された。その親戚は昼間はずっと電話で話相手になってくれていて状況をよく知っていた。祖母からの電話にでれば罵られ、見舞いに行っても罵られ、それでも親戚は面会に行け、電話してやれと言ってくる。わざわざ嫌な気分になりにいくとかさすがにハードモードだ。一方でその親戚は、その病院が精神科だから見舞いにいきたくないといってひきこもっていた。おいおいw

そしてばあちゃんは退院を強く訴えるようになった。どこも悪くないのになんでこんなところにいるんだ、早く帰らせろ、と。
でも病院、ケアマネ、私で一致している思いが一つあった。
「退院はあっても帰宅して同居だけは絶対にない」ということ。
アルツハイマー認知症はいまのところ基本的に治らない。薬で症状を抑えるだけだ。
つまり家に帰って元通りの環境になれば以前に逆戻りというわけだ。それどころか、騙して病院に入院させたというおまけ付きだ。逆戻りどころか悪化してること間違いなしなのだ。

そこで退院後の選択肢が2つあった。
一つは転院。入院というのはおよそ区切りとなる期間が決まっているので、病院を転々とする未来が見える。それに精神科での転院になるので病院が限られているし、受け入れてもらえるか自体があやしい。仮に転院できたところで同じことの繰り返しなんだろう。
もう一つは施設への入所。施設といってもいろいろ種類があるんだが、要介護Ⅰのばあちゃんの場合はいわゆる老健(介護老人保健施設)だ。(特養などの福祉施設は要介護Ⅲ以上)田舎とはいえ、施設に運よく空きが出るんだろうか、と思いながらケアマネに探してもらった。そしたら運よく見つかった。認知症対応のグループホームという形態の施設だ。少人数制でアットホームだし、費用もそこそこ現実的。ばあちゃんの年金に少しプラスぐらいなのでほぼ永久機関が完成したわけだ。主治医にもそれを薦められ、見学、面談の上、そこにお願いすることにした。
★★施設やデイサービスを選ぶ上で意外な盲点があった。「主治医との相性」だ。手術後、近所にデイサービスがあったのでそこと契約したのだが、そこと主治医が犬猿の仲だったのだ。契約後に主治医に報告したらすごく渋い顔をされたのでほかのデイサービスと契約した。結局そこもいかなかったので主治医に紹介してもらった訪問看護にしたんだけど。★★


★★ところで、認知症患者は他人と話すときは普通の会話をする。他人には認知症だと分かりにくいのだ。それを関係者に早めに認識してもらうというのが助けを得る点でそこそこ重要な鍵だと思っている。
ばあちゃんの場合は幸か不幸かタイミングよくそれが起こってくれた。
時系列でならべると

・(残薬が多すぎる)

・初期の段階で主治医の前で私に軽くキレて、主治医にばあちゃんの異常を確信させた。
訪問看護師と私が電話中にばあちゃんがキレまくってて怒号が電話越しに筒抜けだった。
・精神病院入院の手続き中に看護師の前でブチギレ。
グループホームへの移動中に職員の前で。
こんな感じだ。キレてる様子を先に見せてしまうというのは私としては非常に後がやりやすかった。相手もプロだし事情はすぐにわかってくれて話がとても早くすすめられた。あと主治医の前でキレた原因が残薬が多すぎる(つまり、自分で薬の服用管理ができない)ことだったあたり主治医はもっと前から認知症を疑ってはいたかもしれない。★★
実際、私が散々工夫して正しく服用させようとしても1度も成功しなかった。それで処方薬と残薬とを調整しようとしたらキレちゃったわけだけど。いや、あなたが金出して買った薬なんだし後期高齢者で1割負担なんだから(残りの9割は若者が負担してるようなもんなんだから)ちょっとは節約しなさいよなどと思っても通じるわけもない。

そんなこんなでグループホームに入所してそろそろ一ヶ月がたつ。まずそこでの生活に慣れてもらうことを優先したのでまともに面会には行っていない。職員の話によると、あいかわらず私への感情はよくないみたいだが、そこそこ穏やかに暮らしているらしい。土曜日、入所後初めてまともに面会する。

宗教恐いの話


昨日の22時すぎ、某フレッシュネスバーガーにいた時の話。
奥の席に男女が座っていてなんやら資料を広げていた。

女が静かな店内でやたらでかい声で電話をかけはじめる。
女『あつこ?久しぶり!今ね、携帯変えて電話帳の整理してたら、あつこどうしてるかなと思って電話したの』
私(うるさいな・・・)
女『今大丈夫?私?今外歩いてるの』
私(嘘乙w)
女『今あつこは仕事何してるんだっけ?保母さん?へーがんばってるねー、子供好きだったもんねー』
女『じゃあさ、子供と外で遊ぶと日焼けしちゃうよねー、化粧品とか気遣うんじゃない?』
私(嫌な予感・・・)
女『やー、いい化粧品あったら教えたもらおうと思ってさー(中略)え?電波悪いや。今度会おうよ、いつ休み?』
女『うん、わかった、じゃーねー』

女「よしっ」
私(!?)
女「男さーん、アポ1件とれましたー!とりあえず今回は化粧品のことはあんまりいわなかったんですけどー」
男「それでいいよ、本題は次で。片っ端から生存確認の電話していって」
女「つながりやすい時間帯ってあるんですかー?」
男「サザエさんタイムってのが俗にあるけどね」
私(やっぱり勧誘か)
女「もっとコツとか知りたいです―、今度時間作ってくれませんか?選挙のときも役に立つしー(政党名も明言してたが敢えて伏せる)」
私(あぁ、某宗教団体か)
男「いいよ、調整する」と立ち去る、と思いきや、他のテーブルのお客さんへ接触。
私(こいつら全員グルか!)
私(・・・トイレ・・・)
その間にグループは全員いなくなってて、宗教に巻き込まれる一端を垣間見たのであった。
こうして勧誘オフは終わった。
宗教恐い。


話は変わるが、成人してから、高校のクラスメイトに選挙のたびに「○○候補がすばらしくてね」と投票を依頼された。
クラスが一緒だった縁で連絡先を交換していたが、個人的に連絡をとるとかは一切してなかった。
筆不精だったからw
私は地元の大学、彼女は東京の大学に進学したと噂で聞いていたので、「んな熱心に語られても、○○候補とは直接関係ないから困るなー」ぐらいに思ってた。
選挙も間近になると勧誘電話がしつこくなった。
ある日、友達と飲んでる時にその電話がかかってきた。
アルコールの力を借りた私は言い放った。
「その候補は私の選挙区にはなんら関係ないし、比例代表もその候補の政党を書く気は一切ない。どこに投票するかは自分で考えて自分で決める。だから二度と選挙とかの勧誘目的で電話してくるな」
そしてその場で着信拒否に設定した。
その後聞いた話によると、彼女は先の女と同じ宗教団体の敬虔な信者なんだとか。

あー宗教恐い。

 

 

 


※ちなみに私は申し訳程度の仏教徒。法事でお世話になる程度。